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2014年12月

58三兄弟

団子3兄弟ならぬ、SM58三兄弟。

屋外ライブや宅録用に気楽に使えるUSED品を導入。

もちろんグリルとスポンジは煮沸消毒済。

ただ自分で聴いた分には、新品1000円のマイクと差は感じない。

ギターで言うと、MartinD-28のような定番に位置するのかな?

音には関係ないけど、堅牢性はあがったようなのでまあ良しとしよう。

58

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えら呼吸したい!

もう2週間以上、喋ったり、歌ったりのために息を吸い込むとむせて咳がでる。

もともと、息継ぎは苦手でクロールはだんだんしんどくなるので無理。

ずっと呼吸できる平泳ぎならしばらく浮いていられる。

なので、会話やブレスも苦手なんだろうな。

のど呼吸じゃない方法で、空気を取り入れたいです。

おかげでギターを弾くモチベーションも下がりっぱなし。

挑戦したい曲も何曲かあるので、早く治ってほしい。

あと、唐突だけどラブレターを書こうと思っています。

言葉を研ぎ澄まして、もう一度ラブレターを書こう。

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同窓会

正月に、卒業してから37年ぶりの高校の同窓会がある。

何かの間違いで進学クラスに在籍したおかげで、正直地味な存在だった。

部活でのインターハイ出場も、結果としては学業に割く時間が少なくなった原因のひとつでしかなかったわけで、希望校合格という目標のために日夜勉強に励む同級生たちとは、ちと異質な存在だった。

本来なら、高2でインターハイ出て、部活を引退した直後から受験勉強・・・となるはずが、そこからギターにはまってしまい、日夜ペンの代わりにピックと歌本を持っていたのだから、結果は見えていた。

それでも、人生が二度あっても三度あっても、やっぱり同じことを繰り返すのだろう。

ただ、もしその時に、今の記憶をもったまま戻れるなら、まず出会うのが遅すぎた人を見つけ出して逢いにいくだろう。

あ、あとロト6の当選番号リストは持っていきたいな。お金はあって困ることはないし。

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雑記としか書きようがない

ここ数日珍しく体調不良で、発熱くしゃみ咳き込みそして腰痛がでて、不覚にも数日寝込んだ形になってしまった。こういったときは、過去の経験上水分を沢山摂ってひたすら眠るのだが、今回は回復までに少々日数を要した。

昼も夜も関係なく、起きては水分をとり、薬を飲んで寝る(もちろんご飯は美味しくいただきますが)を繰り返していると、たくさんの夢をみた。

明らかに人生で経験したことや、見たことがある網膜を通して脳に記憶された人や風景。最近テレビで見たニュースがインスパイアされたような事件の現場のような、かなり危険な場所とか・・現実と記憶とが混在し、起きているのか寝てるのか境目が怪しくなってくる。

そんなくだらない夢を見続けている中、ふと目が覚めて自分の音楽観について、真剣に分析している時間があった。(それも夢だった・・っていう夢落ちかも知れないが、そうではないのかも知れない)

いったい、何のために自分は「曲」というものを人前で歌うのか?他人のメロディや言葉を借りて、仮想空間に身を置く現実逃避なのか?その自分の姿を客観的に見てうぬぼれるナルシシズムなのか?人はその歌を聴いて何を思うのか?自分は?

ここで「そんな辛気くさいこといわんと、ギター弾いて好きな歌を大声で歌ったらええやん!」「歌ってそういうもんやろ?」と、あれこれ考えたことをちゃぶ台にのせてひっくり返そうとする人もいる。

ただただ、集まって騒いで、お互いの演奏に生暖かい拍手を送り合う儀式のようなのもある。

一人の勘違いした人を持ち上げて(褒め殺しか?)、さもファンのようなふりをして、甘言でその気にさせて、それを陰で笑う者もいる。ちっとも好きでもなく、いいとも思っていないのに、ただ名前だけが売れているだけなのに。

こんな夢も見た。

昔テレビで見たアフリカ大陸でのロケ番組だろうか?

あまり文明に接していない部族の映像のなかでは、お決まりのように部族長や息子、シャーマン(呪術師)が登場する。

部族長は勇敢で偉大だが老人。その息子後継者は勇壮だがまだ未熟さがうかがえる。

シャーマンは相変わらず、煙草?様の植物の煙を、患っている人に吹き付け悪霊を退散させる。

原始の世界だ。

そこで歌っている女性がいる。大声で、長い声で延々と歌っている。子供が死んだらしい。彼女一人の声が闇に響く。

ある場面では何人かの女性達が着飾ってダンスしながら声を合わせて歌っている。

子供が生まれたか、結婚のお祝いのようだ。

豚も焼かれているから間違いないな。

こうしてみると、人が歌うのは喜怒哀楽の感情表現なのか。

悲しみの時は歌うことでその痛みを昇華しようとするのか。

嬉しいときはその喜びを人に伝えたくて祝福されたくて歌うのか。

前にも書いた気がするが、なぜこの50代のギター弾きたちの多くが、自分たちが10代に聴いた、20代の若造たちが大人びて知りもしない人生を唄った曲を、大切そうに今も歌うのか?

若造が夢見て、そして知ったかぶりして描いた世界。

そこに自分たちが歩いてきて、その当時の作者よりはるかに人生経験を積み、物事の真理についてもかなりいいところまで知ってきているはずの年配者達が、生まれて初めて見たものを母親思い込む雛のように盲目的に歌うのか?

思考停止状態か?精神面での成長を放棄したのか?そこが人間の到達点だったのか?

本当にそんな歌に書かれたような青春はあったかい?

恋愛は、別れはそういう切なく美しいものだったかい?

人生は酒と涙と男と女で語れたかい?

と、自問自答してみる。

まだ少々熱もあるし咳もでる。

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