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2021年11月

少年ジャンプ

それはもう45年も前の話。

中1から高2までは陸上部に所属した。大学では入学式直後にラグビー部の猛者に拉致軟禁され、しぶしぶ入部させられた。その後脱出を試みて、また陸上部に。しかし喫煙者には辛く、体力が続かず退部。大学卒業までは下宿でギターを弾くか、パチンコ屋に行くか、時々授業に出るというぐうたら生活を送った。

つまり、12歳から17歳の5年間陸上競技をやったことになる。その経験で何を感じ何を得たかというと「上には上がいる」「かなわない」「才能のあるなしは残酷」というあきらめ、悲観的な思いだった。それは「頑張れば夢は叶う!」という愛媛県で有名な高校野球出身芸人さんのキャッチフレーズと相反する。若くして挫折を経験した。

ただ経験上、「頑張って続けて行けば夢に近づける可能性はある」「夢をかなえるには、どうすればいいのか?考えることはできる」と、この年齢になると言える。

中学時代は、三種競技Aという種目と、その中のひとつの種目の走り高跳びを勧められた。三種競技A(100m 12.0秒、砲丸投げ12m80、走り高跳び1m80だったかな?うろ覚え・・)では運よく中3の時全国10位にランキングされた。

走り高跳びはジュニアオリンピックの標準記録1m85㎝を跳べて、リニューアル前の国立競技場での全国大会に出場できた。どちらも中2のときから部活顧問として指導していただいた大元先生のおかげ。大元先生がいらっしゃらなければどちらにも行けなかった。

中3の時の国立競技場でのジュニアオリンピックでは、試技前の練習は1m75㎝の高さだった。当時僕の身長は1m68㎝。本試技は1m80㎝から始まった。練習の1m75㎝は一度も飛べなかったが、本試技の1m80㎝はなんとか二回目で跳べた。しかしそこまでがその日の限界だった。優勝したのは僕とそれほど身長の変わらない鹿児島の選手。記録は1m98㎝だったと記憶している。次元が違う・・と感じた。

高2の長野インターハイは走り幅跳び四国大会5位で出場した。結果は3回ファールして記録なし・・これも、自己ベスト6m78㎝を上回る6m80㎝が予選カットライン。やはり次元が違う・・。

そもそも、陸上競技は身体能力や身体特性に大きく左右される種目が多い。中学時代は高跳びと、幅跳び両種目を練習していた。下の図でわかる通り高跳びは助走スピードのエネルギーを垂直方向の高さに変える種目だ。そして幅跳びは助走スピードを前方への距離に変える種目。似ているようで最後の一歩はずいぶん違う。

実は中学時代、走り高跳びの練習中に1年間に3回脳しんとうを起こして病院に運ばれた。高跳びなのに、しかも背面跳びなのに、幅跳びの踏切りをしてしまって、マットを飛び越えて地面で後頭部を強打・・

それさえなかったら、末は博士か大臣か!と、将来を期待された神童だった・・はず・・。

最近では、ご飯をいつ食べたか、何を食べたのかもよく覚えていない。仕事中、何かをしようと立ち上がったとき「よいしょ!」とでも声を出したら、何のために立ちあがったか忘れてしまう。仕方なくもう一度座って腕を組んで思い出そうとするが、とても時間がかかる。きっとあの時の脳しんとうのせいだ。

少年に一つだけ言いたい。ジャンプするのなら、上に向かうのか前に向かうのか、ちゃんと決めて走り出さないと歳を取ってから将来苦労しますよ!

走り高跳びのイメージ
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走り幅跳びのイメージ

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県大会決勝前の練習風景(図と比較のため反転。明らかに高すぎる・・)
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このくらい

愛用のポロシャツ。ボタン付けくらいは出来る。赤い糸で結んだ(^^)

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気付かないもの

同じ時間に同じことをして、他愛のない話をして眠りにつく。それが幸せな時間。

お金や物や車や家、社会的な地位や名声なんか何にも要らない。ただそれだけでいい。

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誕生日おめでとう

去年はいつもの年のように、「これから寒くなるから・・」と書いたけど、今日は暖かだな。でももうすぐ12月。やっぱり寒さが厳しくなるし、足腰も昔のようじゃないから、高所作業もより安全に慎重にね。

描いてくれた小さな畑の「売り土地」の看板はまだ設置したまま。もう3年になるけど、まだ売れていない。売れたらいいなと思うけど、そこにずっとその看板があるなら売れなくてもいいや。

今月はNSPを沢山歌う。歌っているときはいつも一緒!

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「かざぐるま」弾き語り

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2021年11月14日のツイキャス配信録画です。この歌も何度も何度も歌います。

 

 

 

 

 

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「冬京」弾き語り

「冬京」弾き語りcover

2021年11月1日のツイキャス配信録画です。同じ歌を何度も歌います。

 

 

 

 

 

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あきら君

  寒い日だった

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日常

笑ったり、怒ったり、泣いたりしながらずっと日々は過ぎていく。これからもずっと。

それにしても、いつも眠いなぁ・・・

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誕生日

息子の1人が30歳の誕生日を迎えた。お嫁さんも孫も期待できないなぁ。それでもこれからも元気でいて欲しい。

Yuunao

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タイムマシーン

時間を戻すことはできないけど、当時と似たような環境に戻すことはできる。

もう、残りわずかとなった。断捨離を急ごう!

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何だかな

一生懸命、足りない脳みそで考えたことは、やはり量も質も足りなかったからか、思っていたのと違う結果になってしまう。

頭を傾けるとカラカラ音がする。海馬の縮小によるアルツハイマー進行どころか、脳の萎縮が見受けられる。僕が持っている物差しや眼がほかの人とは違うんだろうかな?一般的な常識やモラル、協調性などと相違することが多い。だからいくら話しても伝えても伝えきれないことがある。それでもやっぱりこんな低いレベルでこれからも生きていくんだろうな。

話は変わる

先日自宅の近くで火事があった。消防車や救急車が沢山出動したが木造の戸建てが1軒全焼した。その時、残念ながら90歳の男性が亡くなられた。男性にすれば長寿の方だけど、人生の最期をこんな形で迎えることになろうとは本人も家族も思いもしなかっただろう。

あれから一週間、家の数軒隣の方のお父様の訃報を目にした。現在の地に引っ越してきて4年。最初に仲良くなった同年代の方。仕事関係でも勤務先が関りがあることをその時知った。僕の母親がこの地で亡くなった際にも、御香料をいただいたり、告別式のお手伝いをいただいたので、事後だけど弔問に行った。その時知ったのは、火事で亡くなられた方がその方のお父さんだったこと。ご仏前に手を合わせてきた。

実はそのお宅を弔問する前に、母の時にいくらお供えいただいたかを控えた帳面をしまっている文箱を確認した。ご近所の交際としては同額をお供え(お返し)すべきだと。帳面を確認して元のようにしまっていると、銀行の封筒を見つけた。当時からずっと僕だけが父母の告別式費用や菩提寺へのお布施などを管理していた。中を見ると4万円入っていた。最終整理のなかでその文箱の中に置き忘れていたらしい。偶然この週末に出張予定があり、その際の必要経費がその金額。

ラッキー!という嬉しさよりも、ちょっと不思議な感覚に包まれた。いつかは開けるであろうけど、このまま何年もそのままだったはずの文箱を開けたこと。それがご近所様のご不幸縁とはいえ、忘れ物を発見したこと。タイミングといい、金額といいちょうど良すぎる。

出張先には近くに社寺仏閣もある。立ち寄って故人のご冥福をお祈りしてくる。

 

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約束の場所へ行く

必ず行く。楽しみだ。

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