少年ジャンプ

それはもう45年も前の話。

中1から高2までは陸上部に所属した。大学では入学式直後にラグビー部の猛者に拉致軟禁され、しぶしぶ入部させられた。その後脱出を試みて、また陸上部に。しかし喫煙者には辛く、体力が続かず退部。大学卒業までは下宿でギターを弾くか、パチンコ屋に行くか、時々授業に出るというぐうたら生活を送った。

つまり、12歳から17歳の5年間陸上競技をやったことになる。その経験で何を感じ何を得たかというと「上には上がいる」「かなわない」「才能のあるなしは残酷」というあきらめ、悲観的な思いだった。それは「頑張れば夢は叶う!」という愛媛県で有名な高校野球出身芸人さんのキャッチフレーズと相反する。若くして挫折を経験した。

ただ経験上、「頑張って続けて行けば夢に近づける可能性はある」「夢をかなえるには、どうすればいいのか?考えることはできる」と、この年齢になると言える。

中学時代は、三種競技Aという種目と、その中のひとつの種目の走り高跳びを勧められた。三種競技A(100m 12.0秒、砲丸投げ12m80、走り高跳び1m80だったかな?うろ覚え・・)では運よく中3の時全国10位にランキングされた。

走り高跳びはジュニアオリンピックの標準記録1m85㎝を跳べて、リニューアル前の国立競技場での全国大会に出場できた。どちらも中2のときから部活顧問として指導していただいた大元先生のおかげ。大元先生がいらっしゃらなければどちらにも行けなかった。

中3の時の国立競技場でのジュニアオリンピックでは、試技前の練習は1m75㎝の高さだった。当時僕の身長は1m68㎝。本試技は1m80㎝から始まった。練習の1m75㎝は一度も飛べなかったが、本試技の1m80㎝はなんとか二回目で跳べた。しかしそこまでがその日の限界だった。優勝したのは僕とそれほど身長の変わらない鹿児島の選手。記録は1m98㎝だったと記憶している。次元が違う・・と感じた。

高2の長野インターハイは走り幅跳び四国大会5位で出場した。結果は3回ファールして記録なし・・これも、自己ベスト6m78㎝を上回る6m80㎝が予選カットライン。やはり次元が違う・・。

そもそも、陸上競技は身体能力や身体特性に大きく左右される種目が多い。中学時代は高跳びと、幅跳び両種目を練習していた。下の図でわかる通り高跳びは助走スピードのエネルギーを垂直方向の高さに変える種目だ。そして幅跳びは助走スピードを前方への距離に変える種目。似ているようで最後の一歩はずいぶん違う。

実は中学時代、走り高跳びの練習中に1年間に3回脳しんとうを起こして病院に運ばれた。高跳びなのに、しかも背面跳びなのに、幅跳びの踏切りをしてしまって、マットを飛び越えて地面で後頭部を強打・・

それさえなかったら、末は博士か大臣か!と、将来を期待された神童だった・・はず・・。

最近では、ご飯をいつ食べたか、何を食べたのかもよく覚えていない。仕事中、何かをしようと立ち上がったとき「よいしょ!」とでも声を出したら、何のために立ちあがったか忘れてしまう。仕方なくもう一度座って腕を組んで思い出そうとするが、とても時間がかかる。きっとあの時の脳しんとうのせいだ。

少年に一つだけ言いたい。ジャンプするのなら、上に向かうのか前に向かうのか、ちゃんと決めて走り出さないと歳を取ってから将来苦労しますよ!

走り高跳びのイメージ
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走り幅跳びのイメージ

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県大会決勝前の練習風景(図と比較のため反転。明らかに高すぎる・・)
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